横浜地方裁判所小田原支部 平成7年(ワ)132号 判決 1996年9月27日
主文
一 被告らは、原告小野誠司に対し、各自金三四二万一三七七円及び内金三一二万一三七七円に対する平成五年八月一七日から、内金三〇万円に対する被告兵藤征志については平成七年三月一七日から、被告オカモト建商株式会社については同年同月一八日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告小野ヒデに対し、各自金三五〇万三四〇二円及び内金三二〇万三四〇二円に対する平成五年八月一七日から、内金三〇万円に対する被告兵藤征志については平成七年三月一七日から、被告オカモト建商株式会社については同年同月一八日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの、その余を被告らの負担とする。
五 この判決一、二項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告小野誠司(以下、原告誠司という。)に対し、各自金一六二〇万二二九六円及び内金一五二〇万二二九六円に対する平成五年八月一七日から、内金一〇〇万円に対する被告兵藤征志(以下、被告兵藤という。)については平成七年三月一七日から、被告オカモト建商株式会社(以下、被告会社という。)については同年同月一八日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告小野ヒデ(以下、原告ヒデという。)に対し、各自金一六四八万六一八三円及び内金一五四八万六一八三円に対する平成五年八月一七日から、内金一〇〇万円に対する被告兵藤については平成七年三月一七日から、被告会社については同年同月一八日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告兵藤運転の自動車に進路を妨害されたため、小野昌睦(以下、昌睦という。)運転の自動車が対向車線に進出し対向車と正面衝突したとして、昌睦運転の自動車に同乗していて負傷した原告ヒデと死亡した小野奈津子(以下、亡奈津子という。)の相続人である原告らとが、被告兵藤に対しては民法七〇九条に基づき、被告会社に対しては自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実
1 事故の発生
平成五年八月一七日午後一時二〇分ころ、埼玉県坂戸市八幡二丁目九番二五号先の国道四〇七号線上を、被告兵藤は、普通貨物自動車(以下、被告車という。)を運転して第一車線を走行中、第二車線に進路変更しようとした(争いがない)。昌睦は普通乗用自動車(以下、昌睦車という。)を運転して被告車の後方で第二車線を進行中であったが、被告車が第二車線に進路変更しようとしたのを見てハンドルを右に転把したためセンターラインを越えて対向車線に進入し、田中恵一運転の対向普通貨物自動車と正面衝突した(甲一、乙一の14)。
2 事故の結果
右衝突事故により昌睦車に同乗していた亡奈津子は両側頸動脈断裂の傷害を負い、右同日午後二時四五分に死亡した(争いがない)。
また、同じく昌睦車に同乗していた原告ヒデも頭頂部切創、左手打撲の傷害を負った(甲一、四の1)。
3 被告ら
被告兵藤は本件事故当時有限会社熊谷木工製材所の従業員であった、右会社は、被告車を所有し、かつ、平成七年二月一日被告会社に組織変更した(争いがない)。
4 原告らの身分関係
亡奈津子(昭和四九年六月二一日生)は原告らの長女であり(争いがない)、昌睦は亡奈津子の兄で、原告らの長男である(甲三)。
5 保険金の支払
(一) 原告らは、亡奈津子の損害の賠償として、昌睦車に付保された自賠責保険から三〇〇〇万円の填補を受け、原告ヒデの損害についても二九万二八六〇円の損害填補を受けた(争いがない)。
(二) 原告らは、昌睦が昌睦車につき締結し保険料を支払った搭乗者傷害保険から亡奈津子の死亡による同保険金として一〇〇〇万円の支払を受けた(争いがない)。
二 争点
1 本件事故と被告車の走行との因果関係の有無及び被告らの責任。
2 過失相殺、特に昌睦の過失の有無及び右過失は被害者側の過失にあたるか否か。
3 損害額、特に亡奈津子の慰謝料の算定にあたり搭乗者傷害保険金の支払を斟酌すべきか否か。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 本件事故状況は次のとおりである。
(一) 現場の位置及び付近の状況
本件事故現場は、坂戸市のほぼ中央に位置し、東武東上線坂戸駅の南東約一五〇〇メートル、西入間警察署の東方一一〇〇メートル地点の国道四〇七号線上であり、現場道路を北北東に進行すると東松山市に通じ、南南西に進行すると日高市に通じる。現場付近は、国道の両側に商店、住宅街が密集している。
(争いがない)
(二) 現場道路の状況
本件事故現場の道路は、幅員一五・五メートルで上り二車線、下り二車線の四車線であり、道路の中央に高さ二〇センチメートルの縁石の中央分離帯があり、そこには植え込みがある。但し、本件事故が発生した場所には、日高市方面のT字路交差点から東松山市方面に向け八五・〇メートルにわたって中央分離帯がなく、ゼブラゾーンになっている。
道路両側には、植え込みを隔てて二・五メートルの歩道が設けられている。
道路は、コンクリート舗装で平坦、直線で視界を妨げるような障害物はなく路面は乾燥していた。また、主要国道のため乗用車、大型貨物自動車の通行が極めて多い。
交通の規制は、駐停車禁止、転回禁止、指定速度時速五〇キロメートルとなっている(争いがない)。
(三) 被告車の走行
被告兵藤は、国道四〇七号線を日高市から東松山市方面に向かって進行中、本件事故現場手前の交差点で赤信号で停止し、第一車線上最前部から発進し時速約四〇から五〇キロメートルの速度で進行し本件事故現場付近にさしかかったところ、その右側第二車線上を追い越してゆく車両があり、右追い越し車につられて、後方の安全を確認せず、車線変更の合図もしないでハンドルを右に転把して第二車線中央付近まで進行したが、その間、バックミラーに車が見えたため、危ないと思いハンドルを左に転把して第一車線に戻った。
(乙一の2、7、25、29、33、被告兵藤征志本人)
(四) 昌睦車の走行
昌睦は、国道四〇七号線は初めての道路であったため先行する叔父の車両のあとに続いて、日高市から東松山市方面に向かって時速約七〇キロメートルの速度で第二車線を進行中、本件事故現場付近に差し掛かったところ、第一車線の前方約八・五メートルを走行中の被告車が突然右側に寄ってきて第二車線に進入しようとしたため、衝突を回避するため急ブレーキをかけると共にハンドルを右に転把した結果、対向車線に飛び込み、対向車と正面衝突した。なお、昌睦は、当時、道路に不慣れであったため叔父の車についてゆくのに夢中で被告車の走行に被告車が前方に進入しようとするまで気付いていなかった。
(乙一の7、9、14、16、25、証人小野昌睦)
2 1に説示認定の事実に基いて検討するに、被告兵藤は、走行車線を第一車線から第二車線に変更しようとしたのであるから、このような場合、車両の運転者は、進路を変更する三秒前にその合図を出すとともに、第二車線後方を走行する車両の安全を確認する注意義務があるというべきところ、被告兵藤は、これを怠り、突然昌睦車の八・七メートル前方に進出して本件事故を発生させた過失があり、しかるときは、被告兵藤は、民法七〇九条により、被告会社は自賠法三条により、本件事故のため亡奈津子及び原告ヒデが被った損害を賠償する責任がある。
二 争点2について
1 昌睦の過失の存在
一1に認定説示の事実によれば、昌睦にも、走行中、先行車が急に進路を変更することもありうるのであるから、前方の車両の動静に注意して進行すべき注意義務があるのに、進路の前方注視を怠り、また、制限速度を約二〇キロメートル超過して昌睦車を走行させたため本件事故に至った過失があるものといわざるをえない。
そして、その過失の割合は三割五分とするのが相当である。
2 被害者側の過失
(一) 本件事故当時、原告ら夫婦は、肩書住所地に長男である昌睦、次男、長女である亡奈津子と同居し、円満な家庭生活を営んでいた。原告誠司は会社員で、原告ヒデは家庭の主婦であるが、年間一〇〇万円の範囲内でパートタイマーとして勤務していた。長男である昌睦は二四歳でトラックの運転手として稼働していたが、手取二二万円ほどの給料は車のローンや外食費等に費消し、家に食費や生活費等を入れていなかった。亡奈津子は本件事故の年の三月に高等学校を卒業し、同月神奈川県足柄上郡松田町にあるチェックメイトカントリークラブ従業員として勤務したばかりで未成年であった。
(甲三、乙一の15、21、23、原告小野誠司、同小野ヒデ各本人)
(二) また、本件事故は、原告ヒデが昌睦、亡奈津子とともに、埼玉県の実家を訪れた際、夫である原告誠司に土産を買うために、実弟である工藤好美の運転する車と昌睦車の二台で鮮魚センターに行った帰りに、昌睦運転の昌睦車に、亡奈津子が助手席、原告ヒデが後部座席にそれぞれ同乗中に発生したものである(争いがない)。
(三) 右(一)、(二)の事実に照らすときは、本件事故当時の昌睦車の走行については、原告ヒデ及び亡奈津子と昌睦は身分上・生活上一体の関係にあったものと認めるのが相当であり、したがって昌睦の前記過失は被害者側の過失として相殺すべきである。
3 亡奈津子の過失
亡奈津子は、本件事故当時シートベルトを装着しておらず(証人小野昌睦)、本件事故により昌睦車の助手席側のフロントガラスが割れ、同ガラスに血痕が付着していたことと(乙一の1、7)、亡奈津子は両側頸動脈断裂の傷害を負い死亡したことを勘案するときは、亡奈津子のシートベルト不装着の落ち度が本件事故の損害を拡大させたものと思料されるから、亡奈津子の損害につき五分の過失相殺をするのが相当である。
三 争点3について
1 亡奈津子の損害
(一) 遺体搬送料 六万六〇八〇円
証拠(甲一〇)により認められる。
(二) 逸失利益 三九一三万八五一二円
亡奈津子は、死亡当時満一九歳一か月(昭和四九年六月二一日生)の健康な女子で、本件事故の年である平成五年三月高等学校を卒業し、同月神奈川県足柄上郡松田町にあるチェックメイトカントリークラブ従業員として勤務したばかりであった(乙一の23、原告小野誠司本人)。
亡奈津子は、本件事故がなければなお四八年間は稼働可能であり、この間賃金センサス平成四年第一巻第一表女子労働者学歴計の平均賃金である年三〇九万三〇〇〇円の収入を得ることができたものと推認される。そして、亡奈津子の生活費は右収入の三割と認めるのが相当である。
以上に基いて算定すると、亡奈津子の逸失利益は、ライプニッツ方式により中間利息を控除して次の算式のとおり三九一三万八五一二円となる。
309万3000円×(1-0.3)×18.077=3913万8512円
(三) 慰謝料 二〇〇〇万円
本件口頭弁論に顕れた一切の事情を考慮すると、二〇〇〇万円が相当である。
なお、被告らは、昌睦が昌睦車につき締結し保険料を支払った搭乗者傷害保険から亡奈津子の死亡による同保険金として一〇〇〇万円の支払を原告らが受けたことを、慰謝料の算定にあたって相当額減額する方向で斟酌されるべきであると主張する。ところで、搭乗者傷害保険金は被保険者が被った損害を填補する性質を有するものではないが(最判二小平成七年一月三〇日・判例タイムズ八七四号一二六頁参照)、右保険料を加害者側において負担している場合には、その支払が加害者側の誠意として慰謝料の斟酌事由とする余地がないでもない。しかし、本件においては、右保険料は亡奈津子の兄である昌睦が支払ったものであり、昌睦と亡奈津子とは、前記のとおり身分上・生活上一体関係にあるとみうるものであるから、右保険料を被害者側において支払ったものというべきであり、したがって、搭乗者傷害保険金の受領の事実は慰謝料算定にあたって斟酌しないのが相当である。
(四) 葬儀費用 一二〇万円
亡奈津子の葬儀費用として一二〇万円を本件事故と相当因果関係を有する損害と認める(甲九、乙二ないし五)。
(五) 過失相殺
前記の過失割合合計四割を減額すると、亡奈津子の損害は、三六二四万二七五五円となる。
(六) 損害の填補
原告らは、亡奈津子の損害の賠償として、自賠責保険から三〇〇〇万円の填補を受けているから、亡奈津子の損害額はこれを控除すると六二四万二七五五円となる。
(七) 原告らの相続
しかるときは、亡奈津子の父母である原告らは、各二分の一である三一二万一三七七円を相続により承継した。
2 原告ヒデの損害
(一) 治療費
医療法人関越病院(入院二日) 二万九四七〇円
(甲四の2)
杉森医院(入院一五日、通院二日) 五万四一九〇円
(甲五の2)
(二) 入院雑費 二万二一〇〇円
日額一三〇〇円の支出を要したものと認めるのが相当である。
(三) 休業損害 一六万〇九八七円
原告ヒデは、本件事故当時満四八歳(昭和一九年一〇月二九日生)の健康な家庭の主婦で、年間一〇〇万円の範囲内でパートタイマーとして勤務していたが、本件事故により一九日間稼働することができなかった(甲三、四の1、五の1、原告小野ヒデ本人)。
原告ヒデは、本件事故にあわなければ右一九日間稼働可能であり、この間家事労働分とあわせると賃金センサス平成四年第一巻第一表女子労働者学歴計の平均賃金である年三〇九万三〇〇〇円を三六五日で除した日額八四七三円の収入を得ることができたものと推認される。したがって、休業損害は、一六万〇九八七円となる。
(四) 慰謝料 三一万円
本件口頭弁論に顕れた一切の事情を考慮すると、三一万円が相当である。
(五) 過失相殺
前記の過失割合三割五分を減額すると、原告ヒデの損害は、三七万四八八五円となる。
(六) 損害の填補
原告ヒデは、自賠責保険から二九万二八六〇円の填補を受けているから、これを控除すると損害額は八万二〇二五円となる。
3 弁護士費用
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、原告らにつき各三〇万円と認めるのが相当である。
(裁判官 清水等)